Profile


ビックリマン高田雄介
生年月日:1993年3月14日
出身:滋賀県甲賀市 居住:滋賀県大津市
居場所:琵琶湖、クアラルンプール、西カリマンタン等々、神出鬼没
得意な釣り:トーマンフィッシング・バスフィッシング。世界中の魚をオールジャンルにやります。
サポート&プロデュース:Transcendence,BKKJAPAN,Revonik,Workszero,HEDGEHOG STUDIO
Biography

バスフィッシングにのめりこみ、ヒラスズキに憧れた少年時代
小学5年生の頃、転校した先の友人の勧めがキッカケとなりバスフィッシングをはじめる。
滋賀県という恵まれた土地で生まれ育ったのは幸運で50アップのキャッチも珍しく無かった。
行けば50アップ。井の中の蛙状態だった高田少年は勘違いし、どんな大人にも負けないくらい釣りが上手だと天狗になっていた。
行けば釣れる、野池の釣りがマンネリ化しだした頃、琵琶湖に通いだした。琵琶湖から実家は少し離れていたため、時には3時間ほど自転車を漕いで行くこともザラにあった。
中学・高校時代はサッカーと空手の掛け持ちをしており、真剣に取り組んではいたが、それを超える情熱を釣りに注いでしまう…
14歳からは県外遠征も敢行。中学生の頃はアルバイトが出来なかったため、マムシを採っては近所のおじいさんに買い取ってもらって、遠征費を捻出した。大阪や兵庫まで足を伸ばしていた。
バスフィッシングに対する情熱は冷めず、近所の野池で66cm、10lbオーバーのバスを釣り上げてしまったりで、天狗の鼻は伸びっぱなしであったが、マンネリ化は否めずバス以外の魚に強烈な憧れを抱きはじめた。
キッカケとなったのは、村越正海氏のヒラスズキを釣る映像。サラシから飛び出す銀色の魚体に心奪われた。
どうせ釣るなら一番釣れる場所に行きたいと調べ上げた末、五島列島に行くことに決めた。
いきなり一人で行くのは危険な釣り…と認識していた高田少年は案内してもらう人を探し、五島列島の凄腕アングラー荒木潤一氏にロックオンした。同時にルアーマガジンによく出ているTULALAの小川健太郎氏が荒木氏の友人だと知った。小川健太郎氏に荒木氏を紹介してもらうべく、フィッシングショーで小川氏に突撃。
いきなり現れたヘンテコな中学生に荒木氏を紹介してくれた上、色んな支援をしてくれた小川健太郎氏には感謝しても仕切れない。
ちなみにビックリマン高田と言うニックネームは、この突撃にビックリした小川氏が授けてくれたのだ。

翌年の高校1年。初めての五島列島遠征を敢行した。
結局、3ヒット、3バラシ。ヒラスズキを釣ることが出来なかった。
それでもこの旅は心に強く焼き付いている。
この旅のために、部活の合間を縫って、学校に隠れて始めたアルバイト。
釣りして、部活して、バイトして。睡眠時間はほとんど無かったが、憧れの魚への過程だと実感が湧き、それすらも楽しかった。
青春18切符を使って、九州まで鈍行の旅。お尻の痛さも感じないほどのワクワク感
フェリーで出会う上物師と夢の魚を語った夜。
非日常の空気、遠征先で出来る仲間、豊かな海に逞しい魚たち。
そして何より、憧れの魚が糸の先でヘッドシェイクするあの光景。
遠征の魅力に取り憑かれてしまった。
国内遠征に狂った、10代後半

五島列島の旅の後、怒涛の遠征が始まる。16歳には京都→香川→高知→兵庫→仙台…と鈍行青春18切符で巡る全国旅を敢行。この頃の憧れはアカメだった。今思うと正気の沙汰ではない遠征プランだが、情熱の前では何の障害にもならなかった。
結局アカメはこの遠征で釣れず、五島列島に続き、通いこむ理由を作ってしまう。
大学時代には今まで続けてきたスポーツをキッパリやめ、アルバイトで遠征資金を稼ぐことに没頭した。
時間も資金も自分が努力すれば自由に使える大学時代は、毎週のように全国各地を飛び回っていた。

先の全国旅のせいで夢中になったのは
アカメ、ビワコオオナマズ、イトウの3魚種。
これを10代のうちに全て釣るのが目標になっていた。
ビワコオオナマズ15歳、イトウ18歳と順調に達成。
アカメには苦戦したものの19歳で滑り込みで釣獲。
釣りで目標を達成する喜びをここで知った。
この頃には遠征の仲間も増えており、九州から北海道まで、自分の釣欲のままに釣りまくっていた。
東南アジアに魅せられた大学〜社会人

遠征はエスカレートしていき、海外にフィールドを移す。キッカケはふと目にしたアジアアロワナ紅龍の写真。
強烈に釣りたいと思った。調べてみると絶滅した可能性があるかもしれないとのことだった。
大きなロマンを感じ19歳の頃からスマトラ島、カリマンタン島、マレーシア本島に通いこむことになった。
未だ紅龍は釣れていないが、生息環境の理解も進み、今も海外遠征の大きなモチベーションとなっている。
この旅路のなかで、アジアアロワナ以外に沢山出会う魚たちの虜になった。自宅で飼育する魚全てが東南アジアの魚…というくらい溺愛している。
特にスネークヘッドが大好きになった。今も海外で最も好きな釣りはトーマンフィッシングをはじめとしたスネークヘッドの釣りである。
大学卒業後は旅の仕事がしたいと思い、某旅行会社に就職。これまで住んでいた滋賀から活動場所を関東に移した。
社会人になっても釣りのペースは衰えず。国内の釣りはもちろん、海外の遠征も学生時代の変わらないペースで行った。
Chill株式会社設立〜2020年まで

2017年。釣りを仕事にしたいという幼少の頃の夢を叶えるべく旅行会社を退職。
フルタイムのプロアングラーとして生活していくことを決め、山根兄弟とChill株式会社を設立した。
これまでの経験を生かした海外釣行の旅行事業。自身も海外釣行のプロガイドとして1年の多くの期間を海外で過ごす生活が始まった。
担当は東南アジア全般。特にインドネシアとマレーシアの滞在日数は群を抜いている。
また、釣具事業も開始。ChilloutfishingとTranscendenceでロッドやシンカー、ルアーを担当。
遠征に狂っていた20代前半から一周回って、国内でのバスフィッシング熱が再上昇。
琵琶湖でのモンスターバスをはじめ、全国のバスフィールドで新しいバスフィッシングを模索した。
現在/琵琶湖バスフィッシングガイド&海外ガイド

2021年春。トランスセンデンスガイドサービスとしてバスボートガイドを開始。
国内外フルタイムのプロガイドとして生活をスタート。
関東から故郷の滋賀県に拠点を移し、より毎日フィールドに出られる環境を選択した。
琵琶湖バスガイド、海外釣行プロガイド、釣具開発スタッフなどなど、様々な顔を持ちながら日々奮闘中。